11.アナクサゴラス(BC500~428頃):無限に小さいもの、そして種
ある時私は、物体は何処までも細かく出来るのではないかと考えた。
そうして極限まで細分化したものが、世界を構成する物であると考えた。
そして、その粒のようなものを種と呼んだ。
この種が、全てを創り全てであると考えた。
すなわち、全ては種によって一つであると。
では、何が種を世界として構築しているのか。
それこそまさに、理性(ヌース)であろう。
これによって、原初の攪拌が起こり、今のような形となったのであろう。

12.デモクリトス(BC460~370頃):在り、かつ在らぬと「原子論」
どうも私には世界を無か有か、という二つに分けて考えることに違和感を覚える。
或る所は充満していて、別の場所では空虚になっていると思えてしょうがない。
すなわち、どちらでもあると。
また、世界を構成するものは粒であると考える。
しかし、その粒の小ささには限界点があるのではないか。
すなわち、不可分割点というものがあるのではないか?(現在でいう素粒子である。)
この点は、時間的説明が不可能な不生不滅なものだろう。
ゆえに、この世界も本々はそうであろう。
そして、無から新しく点が生まれるということは有り得ないだろう。
また、この点は森羅万象に変化できる。
すなわち、点によってすべては一つであると。

13.プロタゴラス(BC500?~430?):在るとか無いとか、僕には言えない
みんなはよく「これは存在する、これは無い」って言うよね。
でも僕は思う。
ほんとにそんなことって言えるのかと。
結局のところ、人それぞれ物の見方がある。
じゃあ、これはもうどうとは言えないんじゃないか。
どうだろう。君はどうかな。

?.???(?~):?
色々意見が出たようだが、何か違和感がある。
取り敢えず、まとめてみよう。
彼らは私を・いつ・どこて・どのように・なにがやったかと考えた。
だが、思い出して欲しい。
君たちが作った神話。
これは世界の始まりを説明している。
しかも、彼らがしていないことを最も重視して説明している。
そして、哲学においてそれを求める人間は、全く新しい存在であると言えよう。
またそれが、人間という知性が最も求めるものであったはずである。
では、それは一体なんなのか…

その④へ続く
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ご意見お待ちしております。





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